「しおのえ里山アートスクールに参加すると、どんなことが学べますか?」という質問をいただくことが増えてきたので、この企画の底流にある考え方を明記しておきたいと思います。
簡単に言うと、しおのえ里山アートスクールのねらいは以下の3つになります。
- これからの時代に人間に求められる力の筆頭として「創造力」(creativity)を置き、それを子供たちが獲得するために必要な体験を贈る。
- 創造力を生み出す源泉として、「想像力」(imagination)が必要である。想像力を起動するため、五感を通して未知で未加工の情報に触れる機会を体験する。
- 五感を通して得た情報を自分で加工し、他人にアウトプットする楽しさと難しさを学ぶ。このプロセスを何度も繰り返すことで、子供たちの「自己学習能力」を起動する。
しおのえ里山アートスクールのコンセプト
ねらいと紐づくコンセプトを詳しく説明していきます。ここからは少し難しくなります。
21世期に入ってから私たちの社会はこれまで人類が経験したことのない速度での計算速度の向上に直面しています。また、インターネット空間を通して日々集積される情報の量もまた、これまでの人類では到底到達できない量に達しています。前者の計算速度の向上は様々なアルゴリズムの発達に大きく寄与し、後者の膨大な情報の集積はビックデータと呼ばれ、私たちの生活に新しい形の利便性をもたらしてくれています。これら2つの発展により最も大きな影響を受け、また影響を与えているのが人工知能の分野です。
しかしながら、この技術と情報の進化は、私たち人間が知性と定義するモノそのものにも大きな変化をもたらしています。例えば50年ほど前は「知識人」と呼ばれた人たちはある特定の分野で、最も豊富に知識を持ち、良く語ることができる人のことを指していました。しかしながら、現代において、特定の分野での知識の効率的なインプット、アウトプットは人工知能が既に人間を凌駕しており、知識人と呼ばれる人たちが求められてきたモノは、サイバー空間上の集合知と人工知能に急速に置き換えられています。
このような事象を生み出す情報処理技術と情報量の蓄積は、ムーアの法則が示すように、今後もより指数関数的に増大し、人間と人工知能の差はより大きくなっていくでしょう。
そんな中で、私たち人間が学ぶ意味は何か、人間が役割を担う分野とは何か、という問いは今までに増して大切な意味を持ちます。この問いを向けられた時に、高度な情報化社会の中で置いてけぼりにならないよう、人間が学ぶべきはプログラミングだと思われる方もいるかもしれません。しかし、情報処理技術が爆発的な速度で発展するということは、極論すれば、今日学んだ技術が、明日は使えないかもしれないということを意味します。今、一所懸命に子供たちにプログラミングを教えても、その子たちが大人になった10年、20年後には、おそらく必死に学んだその技術は今日の私たちにとってのフロッピーディスクよりさらに遠い昔に感じられるような技術になっているでしょう。
では、人間が役割を担うべき分野とは何か。それは既存の知識体系を蓄積し、整理し、列挙する技能ではなく、私たちが日々接する情報、文字やネット空間の情報だけでなく、五感を通して得られる「生の」情報から、世界観を創造し、他者と共有していく知的な遊びの中にあると、私たちは考えています。一見すると奇想天外な発想と思われるものであっても、それが科学的なブレイクスルーの基礎になった例というのを、私たち人類はたくさん持ち合わせています(例えば地動説)。人工知能はある特定の分野において人間を凌駕していても、「なぜその知識を蓄えるのか」(動機)を知り、「なぜそのように考えるのか」を他者に説明し、そして、「ある特定の分野から自由に他の分野へ横断すること」ができません。この3点は人間が進化の過程で世界を認知し、構築し、社会を生成するために手に入れた最大の強みであり、私たちがこれからも社会で担うべきものです。人間は自分たちの主観で物事を認識し、それを都合よく解釈し、世界観を作り上げていきます。この能力を、他者と分有しながら最大限に伸ばしていくことが、人間の学びが目指すべきものだと、私たちは考えています。そしてこの能力を「創造力」と定義しています。
このような創造力を身につけた人間は、自分自身の中で情報を処理し、論理的な思考を行い、他者との交流でそれをブラッシュアップしていくことができます。この自己学習能力もまた、人間が獲得すべきものです。昨日学んだことが今日には無用の長物になっていたとしても、それがなぜ無用になったかを知ることができれば、明日にはまた有用なものを作り出すことができる。そのための方法が創造力に起因する自己学習能力です。
しおのえ里山アートスクールでは、この創造力と自己学習能力を、様々な体験を通して贈るための方法を考え、提供します。
具体的に学べること
では、しおのえ里山アートスクールではどのようにして「創造力」を学んでいくのでしょうか。その方法は子供たちそれぞれが見つけていく、ということが実はミソなのですが、私たちが想定する形をここで紹介します。
しおのえ里山アートスクールの軸となっているのは以下の3つの連続した体験です。
- 五感を通して生の情報に触れる。
- 生の情報を加工して、自分自身の世界観を構築する。
- 構築した世界観を他人と共有し、磨き上げる。
メニューのひとつ、里山トレッキングとアートスクールを通して考えてみましょう。
子供たちはまず、自分の足で急な坂道を登りながら、夏のモコモコした森の中に入っていきます。このとき、視覚では「木」や「森」や「空」という言葉に処理される前の、切れ目のない世界が子供たちの目に飛び込んできています。(マスクを外してもらうようにお願いをするので)嗅覚では、草いきれや腐葉土、花や虫、様々な生と死の香りを感じるでしょう。聴覚では同様に、風が鳴らす森のさざめきや鳥と虫の声、一緒に歩いている人たちの呼吸や、足音が聞こえます。講師が様々なものに触れることを勧めるので、葉っぱや土、石、運が良ければ生き物にも触れることになります。もし子供たちに試してみる勇気があれば、毒ではない植物を口に含んでもらうかもしれません。これは味覚の体験です。これらの膨大な量の情報に自分の感覚を開いていく方法を子供たちは講師と一緒に学びます。
このような体験をしたあと、子供たちはその情報を言葉(今回は詩)にする方法を学びます。ここでは講師が、様々な形のオノマトペを通して、既存の言葉の組み合わせやオリジナルの言葉によって自分が感じた世界を表現するためのヒントを与えます。このプロセスを経ると、子供たちは切れ目のない膨大な情報(カオス状態の情報と言います)に自分なりの秩序を与え、世界観を構築することになります(この状態をコスモス状態と言います)。
自分なりの世界観を構築したあと、今度はその世界観を、一緒に学ぶ子供たち、そして講師や保護者、地域の方々に共有しながら修正、強化し、他者を通してもう一度自分の中に跳ね返らせていきます。
このプロセスを何度も何度も繰り返すことで、子供たちは何を創造力と呼ぶのかを具体的にイメージすることができるようになるはずです。ここまで来てしまえば、きっとその楽しさと難しさに気付き、自己学習ができるようになっていくでしょう。
ここまで読んできた方なら、「2泊3日でこんなことできるの?」とお思いになる方もいらっしゃるはずです。私たちが提供するのは、あくまで入り口です。でもその入り口は既存の義務教育を通してではよっぽど運が良くなければ出会えない入り口でもあると思います。
しおのえ里山アートスクールを通して、創造力と自己学習能力を身につけるための芽を子供たちに贈り、生涯の宝物として育んでいっていただける体験を、塩江を舞台に提供できるように準備しています。
塩江で学んだことを、塩江以外の場所でも発揮しながら、同時に塩江を第二の故郷にしてもらえたらと思っています。
しおのえ里山アートスクールのパンフレットは以下からダウンロードできます。
しおのえ里山アートスクールのお申し込みは以下から可能です。