あまご三昧 ー今はもうやっていないお店の話ー

この記事は、2017年、塩江町地域おこし協力隊が書いた「塩江の人」の記事のアーカイヴです。いまはもうお店は営業していませんが、塩江にあったお店、素敵な人の思い出としてご覧ください。

塩江のさらに山深く、上西にひっそりと営業している定食屋がある。美しい風景の谷にせり出すように建っている「あまご三昧」である。創業29年になるこの定食屋は藤澤康良さん、美津江さん夫妻がアマゴ養殖場と合わせて長年経営してきたお店だ。

 藤澤康良さんと美津江さんを訪ねた。

 昭和48年(1973年)に一村一品運動の先駆けとして塩江町(当時は独立町)役場の方針で始まったアマゴ養殖は40年以上経ったいまも続いている。経営者の康良さんは御年82歳。塩江で生まれ、塩江で暮らしてきた生き字引のような人だ。ゆっくりととても丁寧に理路整然とお話をされる方だった。

 漁業組合を作り、国の補助金を得て建てられた養殖場はことの始めから苦難の連続だったそうだ。建築中に起きた第一次オイルショックの影響で生け簀に使うセメントが手に入らず、稚魚の段取りがついたのに、設備が完成していない事態に陥った。知己を頼ってなんとか間に合ったものの、養殖が始まってからも大変なことだらけだった。

「笑えるほど儲けた話はひとっつもないが、涙を呑んだことはたくさんある。」 康良さんはカラッとした笑顔でそう語った。

 特に夏場は苦労の連続で、水温があがり魚は活発になるのに、水不足で十分な給水ができないために死なせてしまったこともあれば、台風で給水口が壊れ、死なせてしまったこともあるそうだ。同じマス科のギンザケを養殖しようとカナダから卵を輸入した際には、卵についていたウイルス性の病気がアマゴに広がり、壊滅してしまった。販路開拓は町役場が一手に引き受けてくれたから苦労こそなかったものの、卸先が倒産して売り上げ回収ができないという事態もあった。それでも往時は20万匹ものアマゴを養殖し、塩江温泉郷の旅館や飲食店に多くの魚を卸していたそうだ。

 いま養殖に携わっているのは康良さん1人で、養殖数も2000匹前後となってしまったが、「あまご三昧」にはリピーターが多くいる。メニューはいたってシンプルで、アマゴの塩焼き、お刺身、唐揚げの3つを組み合わせだ。一番贅沢な「竜王山定食」は3つ全てがついている。注文を受けてから外の生け簀のアマゴを捌くので鮮度は抜群で、赤い斑点の色味も美しい。手際も見事なもので、どこかで修行したのかと伺ったところ、「独学、見よう見まね」でやってきたそうだ。地元の温泉ホテルの料理人のやり方を取り入れたり、美味しいお店のやり方を真似たり、で今の形に落ち着いた。主菜だけでなく、付け合せにもこだわりがある。お刺身につける薬味が生姜なのは、ワサビではアマゴの甘みが消えてしまうから。箸休めのお漬物は自家製の茄子の辛子漬けで、ツーン鼻にくる風味が、味覚をリセットしてくれる。揚げ物の付け合せはマロニーをシシトウで束ねて揚げたもので、見た目も食感も楽しい。

 お昼時、地元の人で賑わう店内で康良さんが思い出したようにおっしゃった。「楽しい思い出は憶えてないと言ったけども、ひとつあった。アマゴを食べてくれたお客さんが美味しいと言ってくれることだ。」平凡な幸せかもしれないが、40年の労苦の先にある言葉として重みがあった。

 帰り際にお二人の写真を撮らせていただいた。照れる美津江さんに、「私が脇役でお前が主役みたいなもんだから。」と言っていた康良さんはそれまでとは少し違う、楽しそうな笑顔をしていらした。終始、静かに働いていらした美津江さんと康良さんが並んで調理場に向かっている姿は、なぜか胸をうつもので、思わずシャッターを切った。

 インタビューの最中に康良さんは「年をとって世間に自分がなんの影響力もないと感じるのは辛いもんです。」とおっしゃっていた。しかし、一つ所で営みを積み上げてきた康良さん、美津江さんご夫婦の姿はこれから塩江で営みを作っていこうとしている身に、とても温かく、眩しいものに映った。

 養殖場を作った際に植えたという木々はもう立派な大木になっていた。その木肌が康良さん、美津江さんご夫妻の顔に刻まれた皺に重なる。素直に美しいと思った。

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